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2014-11-13

それでも町は廻っている

久々のブログで書くことがこんなことなのはなんか自分でも微妙な感じではあるのだけれど、とりあえず書いておかねばなるまい。
2015年3月をもちまして、3年間カミイグループのギタリスト兼ブチャカワイイ担当の竹内太一がバンドをやめることになった。
ふと3年て長いなアホかと思ってたときもあったけど、こうして文章に書いて色々思い出してみるとあっという間だった。思い切りあっという間だった。

太一が正式に加入した日は、2011年11月のプチロックフェスティバル、最後の一曲48%に参加。
打ち上げの席で、サニーデイサービスで出演していた曽我部恵一氏に『バンド頑張ってね』と言われ号泣していた竹内のツラを僕はいまでも昨日のことのように覚えています。
水野寝地の家でドラム花ちゃんと飲み比べ勝負をし、トイレの鍵を閉めながらゲロ吐いて、そのゲロがドアの下から流れてきちゃって、風呂に入れようと服を脱がしたらチワワみたいに震えていたあの光景だって、太一の家の近所のうさんくさいインドカレー屋の味だって、僕は昨日のことのように覚えています。

彼の家は実家なのですが、彼の部屋から外へ続く窓の鉄格子は曲がっています。
何故曲がっているかって、それは中学生の頃に童貞捨てるため、深夜家から抜け出すときにその鉄格子を曲げ、家から脱出した彼の行動力の結晶です。その数センチ曲がった鉄格子をみたとき、その鉄格子は彼を象徴しているなあとしみじみ思いました。
そんな性への探究心と行動力と同じく、この3年間、一番練習し、音楽への探究心を見せてくれたのは彼だったとおもいます。

3年間、ライブ、レコーディング、CD発売と荒波を共にくぐり抜けていった彼は、『おれはふつうのおじさんになりたい』と言い、バントを去ると言いました。
彼はもうきっとバンドなんてやるつもりはなかったのだけれど、最後に、この3年間、残った情熱を一滴残らず搾り取るように、多少無理しながらも音楽をやっていたのかなとおもいます。
レコーディングの最中にパニック障害の診断も受け、そういうのもあり、こういう答えが提示される可能性は覚悟しながら今年は生活していた。
『ふつうのおじさんになりたい』という気持ちを否定するつもりもないし、メンバー全員『とりあえず一回引きとめておこうか』くらいのスタンスで、あまりに引きとめられなさすぎて若干寂しがっているんじゃないのかと思うととても面白いのですが、僕は『ふつうのおじさんになんかいつでもなれんじゃねえか』とか『太一がふつうのおじさんになるなんて無理だべ』なんて思っているのが正直なところですし、彼は来春大阪へ引っ越し『ふつうのおじさん生活』をスタートさせるわけなのですが、僕の周囲の人間は挙って『たいちくんに大阪は無理や、、、』という意見で謎の一致団結を見せ、彼の新生活を応援したい気持ちはもちろんあるのですが、果たしてちゃんと生き抜いていけるのか、挫折して戻ってきてしまうのではないかという謎の不安に苛まれる瞬間も大いにあります。

竹内太一よ、ふつうであれ。
その代わり、つまらない生き方してたら、大阪まで殴りにいく。
来月、竹内最後の音源をレコーディングします。
来年頭にはシングルとして発売できるよう、急ピッチで頑張ります。


カミイショータグループは、竹内太一の脱退に伴い、新ギタリストを募集しています。

【ギタリスト!】
【年齢性別不問!】
【やる気のあるひと!】
【できれば即戦力になるひと!】
【とにかくまずは連絡を!】
kamiishota@gmail.com
までご連絡ください。

既に何名かからご連絡をいただいておりますが、返事がなかったりしているため、できるだけ選択肢は広げておきたい故、年内いっぱいは募集を続ける可能性があります。
ご連絡いただいた際にはテンプレートを返信するので、そちらを記入のうえ再びお返事いただくことをお願いしております。
はばたけ、クソ野郎ども!
よろしくお願い申し上げます!

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